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第二章 

15話)優斗の家へ



「・・・実は、母さんが出て行ってしまってからは、家庭料理は週二回程度しか味わえないんだよ。
 お手伝いさんがくる日だけ、食べる事ができるんだけれどね。」
 ふいに声をかけられたハッとなる。同時に彼の家庭環境に少し驚いた。
「お母さん、出て行ったの?」
「うん。俺が中学3年生の時。ちょっとした事があって・・・。」
 答えた瞬間の、優斗の瞳が暗くなる。それから歩く速度を速めるものだから、芽生はついてゆくだけで必死になってしまった。
 そして、ある家の前まで来ると、彼は足を止めた。
「ここが俺の家。」
 言って玄関の門を開けて、・・・それも勝手口からだ。中に入った家は、大きかった。
 重たげな玄関扉。
 鋭角的で、シャープな線を強調した家の壁は、窓の部分が広く取られている。白い壁と黒い屋根。ベランダなども黒く塗りこめられていた。
「どうぞ。入って。あまり綺麗にしてないんだけれど・・。」
 玄関の中に入った芽生に、来客用のスリッパを出して声をかけてくる。
「あっ・・ありがとう・。」
 礼を言って玄関を上がる。
 玄関フロアも広かった。
 あまり綺麗にしてないと、彼がコメントしたとおり、部屋の中はどこかしら重たげで、人の気配がしない。
 淀んだ空気が漂っているかのように感じた。
 二人してパタパタとスリッパの音をさせてフロアを横切り、優斗は左側にあった扉を開いて中に入り、すぐさまスイッチを押して電気をつける。
 共に入った芽生の目に飛び込んできた景色は、キッチンと、居間だった。
 居間は20畳以上はあるかと思われるくらいに広い。
 ダイニングキッチンは対面で、テーブルの上には様々な大きさの箱が積み上げられて無造作に置かれていた。
 箱の上部には、のし紙が貼られている。贈り物が多い家だ。
「お茶・・お茶・・。」
 スーパーの袋をテーブルに置いた優斗は、キッチンの中に入って行って、やかんを手に取る。
 ホーローの可愛らしいデザインのやかんだ。
 多分、優斗の母親の選んだ品だろう。
 けれども彼女は、もうここにはいないのだ。
 閑散とした家の雰囲気は、そのまま家の主婦の不在を表わしていた。
(なんだか寂しいな・・。)
 そんな事を思いながら、彼がやかんに火をかけるのを目にしてから、スーパーの袋の中味をさり気なくチェックする。
 玉ねぎ、人参、じゃがいも。すべて1ネット購入されていた。牛肉も1トレイ。500gくらいの分量が入っている。
 それ以外の食材は入っていない。
「…優斗君。二人分だと、ひょっとして余ってしまうかもしれないけど・・どうする?材料全部使う?」
 芽生の問いに、彼はカウンター越しに顔をのぞかせ
「適当にやってくれちゃっていいよ。・・・余ったら晩御飯に回すし・・。」
 と、言ってニッコリ笑う瞳は邪気がない。
 なぜだか日頃強烈な雰囲気を漂わせている彼が、晴れやかな笑顔を浮かべると、その落差のおかげで、ガクッと脱力感が襲ってくるのだ。
「・・・・じゃあ、早速作ってみようか?」
 キッチンの中に入りこむ芽生に、優斗が目を白黒させて
「お茶いらないのかい?」
 と聞いてくるので、
「コップに入れてくれたら、作りながらでも・・・。」
 言葉が詰まる。
 優斗の目前には、やかんがあった。
 一枚の板の上に、やかんが乗っかっている。当然のように、炎が見えない。
「IHクッキングヒーター・・・。」
 ポツリと呟く芽生に、優斗が首をかしげた。
「・・・そうだけど・・それが何か?」
 答えた瞬間、芽生は声にならない叫びをあげて、彼の側に近寄ってゆく。
「ずっと、それには憧れていたのよ〜。ちょっと見せて・・。」
 目をキラキラ、舞い上がって叫ぶ芽生の剣幕に、優斗が少し驚きの表情で後づさった。
 おかげで、芽生はヒーターの前に立つことが出来る。
 なめらかな面に、3つの輪があった。そのうちの一つはやかんが乗っている。
 ズズーと、中の水が熱を加えられて音を上げていた。
 下部に、熱量の値を操作できるパネルが顔を出している。
 弱。1〜5。強とあり、フライの欄もあった。グリルにも同じ様に弱。1〜5.強と。
 換気扇が回っていないのに、ファンが回る音がする。顔を近づけてみると、クッキングヒーター内でファンが回っているらしかった。
 ピーと、やかんが音を立てる。
 もう沸騰したのだ。
「早い!」
 雄たけびに近い声をあげる芽生に、優斗はさらにびっくりしたようで、目をまん丸に見開いた。
 パネルの切のボタンを押すと、伝熱が切れたらしい。即座に湯気が出なくなる。それを確認してから、
「急須は?お茶の葉っぱはどこ?」
 聞く芽生に、
「・・あっ・・ああ。ここ・・。」
 と、指差した先に、コクリとうなずくと、手早くお茶の葉っぱを入れて、何気に茶葉の種類をチェック。
「これ煎茶だね?。」
 確認のために聞くのだが、彼は首をかしげて、
「それは知らない。」
 と、答えてきた。
「たぶん、煎茶だと思うから、このまま入れるよ。」
 言って、彼の返事を待たずにジャーと急須に湯を入れてから、ハッとなる。
「・・・・ごめん。私、ひと様のおうちで、勝手にやっちゃった・・。」
 彼の反応をうかがうように見上げる芽生に、優斗はクスリと笑い、
「いいよ。これからご飯作ってもらうんだから、勝手に触るな。なんて思わないし。」
 と答えてきた。
「ありがとう。じゃあ、どれにお茶いれたらいい?」
 蒸らす時間をさり気なく確認しながら、芽生が聞くと、優斗はすばやく湯呑を食器棚から出してくる。
 一つはよく使いこまれた湯呑で大きいゴツゴツとした形だ。もう一つは小ぶりで、綺麗な文様が描かれていた。蓋までセットになっている湯呑。
「受け皿まではいらないよね。」
 彼が聞いてくるので、
「蓋もいらないわよ。・・気軽に飲みたいから。」
 と答えると、コクンとうなずき、蓋は食器棚にしまいこむ。
 そして用意された湯呑に、素早くお茶を注ぎ入れると、周囲に緑茶の香りが立ちあがる。
「どこでのむ?。」
 ポツンと聞く芽生に、優斗は
「どこでもいいよ。何ならここで飲んでもいい。」
 と言うや、湯呑を手に取って、立ったままズズーと飲んでしまうのだ。
 その仕草は、喉が乾いて待ちきれずに喉を潤す感じにもとれて、なんだか微笑ましい。
 熱い茶を一気に飲み終えた優斗は、満足げな吐息をもらして、
「・・・なんだか人に淹れてもらうと、いつものお茶も、おいしいいよ。」
 とつぶやくものだから、日頃どんなに寂しい毎日を送っているのかと思う。
「頂きます。」
 一応断って芽生も、キッチン内で初めて、お茶を飲むのだった。
(結構おいしい・・。茶葉もいいものじゃないかなあ〜。)
 何気に思う。
 広い家の中は当然玄関も広く、居間も申し分なく広い。フローリングの床も何となくだが質のいい木材を使っている感じがする。
 キッチンからのぞく居間にあるテレビは、当然プラズマテレビで、どっしりとした皮のソファとテーブルのセットが鎮座ましましていた。
 カーテンの柄と、麻のラグと、壁のタペストリーが、アジア風な風情を醸し出している。
(確実に、私の所より、生活レベルが上だわ〜。)
 なんて思って、少し羨ましい気持ちになる。
「ここって、床暖房付いてるの?」
 ふいに聞いた芽生の質問に、優斗は
「はあ〜?」
 と問いただしてくるので、
「…何でもない。」
 と、前言撤回。
 少しきまりの悪い空気が流れるが、即座に
「肉じゃがだったら、お米も炊かないといけないよね。米びつどこ?」
 芽生が聞くと、優斗は頷いて
「それは、ここ。」
 と、手慣れたしぐさで収納ボックスを開けると、中を見せた。
「えっと。だしとか砂糖とか、塩とかは、このコーナーにあるやつを使っていいよ。」
 鍋とフライパンはこっちで・・。
 と、ある程度、キッチンの場所の説明を受けてから、芽生は腕まくりする。
 まずは米だ。米びつを開けて、米を計って洗い始めるのだった。
 シャカシャカ。と素早く洗うと、炊飯ジャーに入れてセット。
 人参、玉ねぎ、じゃがいもは皮をむく。
「・・優斗君。お味噌汁はいらない?」
 包丁を入れながら何気に聞くと、キッチンの中で、まだ立って芽生の様子を見ていた彼は、
「作ってくれるの?・・・もちろん飲みたい。」
 と、答えてくるので、芽生は頷き、
「オーケー。作っている間、ヒマだろうからテレビでも何でも見て、過ごしてくれればいいから。」
(作っている間中、ずっと見られているのは、恥ずかしいもの・・。)
 と思って問いかけると、彼は納得したようで、
「じゃあ、そうするよ。出来たら言って。」
 と答えて、キッチンから出て行くのだった。
 居間のテレビに電源を入れて、ソファに座り出す優斗の姿を確認してから、フライパンを出して、油をひき、肉を焼き始める。
 牛肉の香ばしい匂いが立ちあがって
「いい匂い〜。」
 なんて思ってから、換気扇をつけていなかったのに気付く。上部の換気扇のスイッチを押すと途端、威力のあるファンの音が稼働し始めた。
 あっという間に、キッチンの蒸気が吸いこまれてゆく。
 換気扇の音に、下ごしらえをした野菜もいれて、フライパン内はさらに騒がしい音がする。
 同時に鍋に少量の水をいれて、強のスイッチを押すと、キッチン内は様々な音が混じって、芽生の家の中とさほど変わらない風景が広がった。
 鍋に肉じゃがの材料を移して調味料を入れれば、あとは煮込むだけだ。
 味噌汁も小さな鍋に水とダシを入れて、乾燥わかめが目についたので、適量入れる。
 味噌はさすがに冷蔵庫の中を見ないと分からない。
 優斗に味噌汁は作っていいと聞いていたので、中を見るくらいはいいだろう。と思って、扉を開ける。
(・・・・。)
 ほとんど何も入っていない庫内に、少しア然となって、けれど必要最低限なもの・・・漬物やら、ソースやら、マヨネーズ。ケチャップなど・・・は、揃っているのを確認してから、味噌も見つけると、取り出して鍋に入れた。
(ネギはないかなあ〜。)
 心の中でつぶやいて、冷凍庫を開けると・・・タッパーに入って刻んだ冷凍ネギを見つけて、
(私と同じだ!)
 と、ちょっとした所で共通点を見つけてニンマリとなる。
 もちろん。冷凍ネギは使わせてもらった。
 そんなこんなで、とりあえずはひと段落すると、やはり興味が惹かれるのは、IHクッキングヒーターの存在だ。
 ほとんどガスと同じような要領で、小さな鍋などは、あっという間に熱湯になった。わかめを入れたら、何度も吹きこぼれそうになる。
 とっさに鍋を手で持って上げると、パネル部分が点滅して、伝熱が一時ストップするのである。
(ひゃあー!これはスゴイ!)
 なんて、一人で盛り上がって、鍋を上げ下げしていると・・・。
 クスクス・・・。
 と、小さな笑い声にハッとなった。
 顔をあげると、優斗だった。いつの間にかキッチンの側に来ていて、鍋を持つ芽生を、おかしげに瞳を躍らせた表情で、見つめていたのだ。
「・・・・芽生って、不思議だね。大人っぽい雰囲気がすると思って近づいたら、・・意外に年齢相応というより“お子サマ”だし、けど、今の芽生って・・。」
 おばさん。
 ポツンと言った彼の言葉に、芽生はお玉を持って、パコンと優斗の頭を弾く。
「いっ痛い!マジ痛いぞ・・。」
 おおげさに呻く優斗に、芽生は咳払いして
「毎日、ご飯作ってたら、こんなになっちゃったの。
 ・・・ご飯作るのやめちゃうよ。」
 低い声ですごむと、彼は途端あたふたしだして、
「今の撤回。芽生はすっごくきれいだし、可愛いよ。」
 と、白々しいお世辞を言ってくる彼の様子に、芽生はまた例の脱力感に、見舞わせられるのだった・・・。